taniyakunのブログ

日々徒然を思いつくまま書いています。

明治元年から150年 マイファミリーヒストリー2

人生は吉本新喜劇
人生は悲惨で真剣に生きるほどほど笑える

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我が曾祖父さんのマニラ出稼ぎのエピソード

当時の時代背景を考えれば出稼ぎに行って一銭の稼ぎもなかったって事は相当生活に困窮して曾祖母さんは決して笑い事で済まされるようなことではなかったであろう。
それでも曾祖母さんは笑って済ました明治女の度量の太さ。
見習いたいものである。

曾祖父さんも周りの評判を聞くと実に真面目な性格だったらしい。
酒もタバコもやらず、ましてや女郎買いにも縁遠い仕事一筋のそんな人柄だったそうで曾祖母さんも信頼して許せたであろう。

寺の過去帳を見ると2人の間には3男3女を設けたがことごとく1、2歳で亡くなっており唯一成人した祖母である次女だけが生き残り成長したのである。
この過去帳を見ただけで当時の時代の厳しさが何となく想像出来ます。
子供が病気になっても医者にも診せられ無いほど貧乏だったか、流行病が蔓延していたのか今になっては事実は判りませんが6人の子供の内5人迄先立たれるとは相当辛いことだったでしょう。
そんな曾祖母さんは辛い記憶の中で91歳の寿命を全うしたのです。


常識は正しい?

生まれて親に躾けられ学校で教育を受け就職して社会に出て人々との付き合いや職場や周りの環境に影響を受け正しい常識を身につける。

周囲に叱られないで褒められる事が正しい常識だと考え自らの心に善悪の基準を作り出す。
自分の属する社会が常に正しいと判断して社会に従属する事が良き事だと信じる。
又、悪い事に自分の価値観と大きく違う人間がいると本能的に排斥しようとしたり差別するようになる。

子供のイジメしかり、夫婦喧嘩の原因、異なるグループとの対立、スケールが大きくなれば国際間の紛争。

全ての人が違う基準を持ち、その人なりの解釈がうまれてくる。
100人いれば100の正しいがあり100の正しくないがある。
正しいを言い換えれば価値観である。同じ価値観を持つ人を好ましく思い価値観が違えば嫌悪感を持つ。
価値観は時代によっても変わり、周りの環境にも左右される。
愛し合って結婚した夫婦でも大抵は始めのうちはお互いの価値観を認め合うから結婚にまで至る。
数ヶ月、数年経つと価値観の違いを自分の方が正しいと主張しだすと亀裂が生じてくる。

太古の昔縄文時代弥生時代の村社会では群を離れると危険な動物に襲われたり、食料の調達が出来なかったりして自分の属する社会からはみ出す事は生存に関わる重大事であった。故に常識を逸脱することは死を意味する事だったのでしょう。

この厄介な価値観がDNAに含まれ先天的な生まれついての性格などに反映されているのではないだろうか?

海外に行った時のことですが、タイに行った時はやはりこの国は常識が違うと感じ、そこからインドに入った時はこの国には常識という言葉さえ無いのではと思うほどのカルチャーショックがありました。
ただ単に文化の違い食べ物、生活習慣の差だけではありません。
これ程自分の常識を疑う経験はかって一度も感じた事はありませんでした。

良いも悪いも場所によっても時間によっても常識と言う正しさが変わるのです。

例えばドイツのヒットラーユダヤ人を虐殺したのも、アメリカが日本に原爆を投下して多くの犠牲者を出した事も、その時代ではそうする事が正しいと信じる人がいたからでしょう。

ほんの150年前の自分のルーツを探るだけでも自分の中に作られてきたDNAに含まれる常識を理解できるのでは無いだろうか?

今の私の心にドッカと住み着いている常識がどこから来たのか本当に正しい事なのか、祖父の代から父母の代そして自分自身の生い立ちまで遡って考えてみたいと思います。

 

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